行政をDisrupt(破壊)する
――まず、お二人がDXに取組まれている背景を教えてください。
一條 和生(いちじょう かずお)
一橋ビジネススクール国際企業戦略専攻 専攻長・教授。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。フルブライト奨学生としてミシガン大学経営大学院に留学し、Ph.D.(経営学博士)を取得。一橋大学講師、社会学部専任講師、同助教授、同大学院教授を経て、現職。2003年にはスイスのビジネススクールIMDで日本人初の教授として勤務。現在、株式会社シマノ社外取締役、ぴあ株式会社社外取締役、株式会社ワールド社外取締役、株式会社電通国際情報サービス社外取締役 他
一條:私の務める一橋ビジネススクール国際企業戦略研究科では「Best of Two Worlds(二つの世界の融合)」をミッションに掲げており、『グローバリゼーション』と『企業連携』を重視しています。そして、2018年を「デジタルトランスフォーメーション・フォーラム」をスタートさせてました。これは2017年末に当時の経産省審議官 寺沢さんとお話した際に「このままでは日本全体がDisruptされてしまう」という強い危機意識と「デジタル時代をリードする経営者育成とネットワークが重要だ」とアドバイスをいただいたのがきっかけです。
この”DXのナレッジを持った経営者”と”ネットワーク”が重要です。
私たちは日本を代表する企業から未来のCXO候補を20-30名ほど集め『デジタルによって経営がどう変わるか』、『DX実行に向けたリーダーシップ』を学び、DXのナレッジを持った経営者のネットワークを形成して、うねりを生んで日本を変革したいと思っています。参加する企業には「デジタル戦略のためのコア人材を創るプログラムではない。デジタル時代をリードできる経営者を育てるのだ」と伝えています。
吉田 泰己(よしだ・ひろき)
経済産業省 商務情報政策局情報プロジェクト室長。2008年入省。法人税制、地球温暖化対策、エネルギー政策等を担当。2017年シンガポール国立大学MBA、リー・クワンユー公共政策大学院、ハーバードケネディスクールフェロー修了。各国のデジタル・ガバメントの取り組みについて研究。2017年7月より現職。経済産業省のデジタル・トランスフォーメーション、法人向け行政手続きのデジタル化を推進。
吉田:私は2017年から経産省の所管する『事業者向けの行政手続き』のデジタル化を担当しています。
それ以前はアジアのビジネス、スタートアップのエコシステムを体感するためにシンガポール国立大学MBAとリー・クワンユー公共政策大学院に留学していました。そこで何が起きていたかというと、シンガポール政府は『スマートネイション』という旗を振って、国際的なビジネス競争力を高めるためにすべての行政手続きをデジタル化する動きを進めている真っ最中でした。
吉田:そのうねりを現地で体験して思ったのは「一番、Disruptされるべきは行政機関なんじゃないか」ということです。リークワンユースクール在学中にケネディスクールに行く機会があったのですが、そこで諸外国のデジタル化を進めていた実践者の取組を知り「これを日本でも実施したい」と感じ、日本に戻ってきました。
DXを組織に浸透させる3つのポイント
一條:それで経産省でもDXを取組まれているんですね。戻られて、何から始められたのでしょう。
吉田:2017年に戻ってから、どう取組むかのロードマップと必要な予算を設計しました。それと「ベンダー丸投げ」していた政府組織では、体制面のケイパビリティが不足しているのは明らかでした。それを高めること、組織自体の意識変革も進めていく必要があったので、組織を立ち上げるためのプランニングにも注力しました。
そして、2018年7月に『DX室』を立ち上げました。この組織では、バックオフィス周りを担当する情シスの部門や業務改革の部門も統合するハブとしての攻めと守りの役割を担うことになりました。
一條:それを進める上で何が一番大変でしたか。
吉田:職員の意識改革ですね。我々が最初に手掛けたのは「すでに問題意識のある”火のついた人”に武器を与える」ことです。経産省の場合は、中小企業庁と産業保安グループという部局に強く問題意識を持っている職員がいたので私も一緒になって、各組織の役職者に重要性を説明して回りました。
また、政策企画委員会という民間企業で言えば経営企画会議のような会議体があるのですが、そこでデジタルの重要性をプレゼンして、組織トップに理解してもらう努力をひたすらしていました。それでも中々浸透せずに苦労しましたね。
一條:とても興味深い。いまの話で3つポイントがあったと思います。
一つ目は、「すでにウォームアップしているところから始めたこと」。DXをするには組織に変革を促すチェンジマネジメントが必要で、心構えが出来ているところから始めるべきです。
二つ目に「トップへの働きかけ」。現場が変わっても、トップの考えが変わらなくては進めるのは難しいですから。
最後は、「タイミング」。ちょうど2018年頃、DXの意識が社会的にも高まっている時世の中です。ただ、それでも経産省でDXの動きが理解されるためには苦労があったようですが。
吉田:そうですね。留学して離れていたのもあったかもしれませんが、「企業にDX進めろ」と説いている行政機関側のDXが全然進んでいないという状況に対して強い疑問がありました。
「あるべき姿」がDXの成否を分ける
――諸外国では危機意識もレベル感が違っていましたか。
吉田:諸外国では、危機意識よりも効率化や提供サービスと国民のエンゲージメントを高めるために取組まれている印象ですね。イギリスだとキャメロン首相の時にGDS(UK Government Digital Service)というデジタル化のための組織が立ち上がりました。ガーディアン紙のデジタル部門トップやデザイナー、エンジニアを引き抜いてきて内製出来る状況を創り上げました。アメリカでは、オバマケア(医療保険制度改革法)が大失敗した2014年頃から、デジタライゼーションを進めようという流れになってGoogleから人材を引き抜いてUSDS(United States Digital Service)を立ち上げています。
こうした政府内部のITケイパビリティを高める取り組みがされています。
一條:素晴らしいロールモデルですね。
吉田:経産省では、どうやったのか説明しましょう。
ITケイパビリティを持った人材を中に入れるのが非常に重要になるため、ビズリーチを使ってITプロフェッショナルを2018年から採用をし、いま10人ほどになっています。
経産省の給与体系だとそうした人材の給与にあわないため、”専門職非常勤”の形態で日給制をとり、給与の柔軟性を持たせることで年収800-1000万の方を雇えるようになりました。デザイナーやエンジニアの開発者を抱えるのはいまの制度では難しかったので、プロジェクトマネジメントが可能な人材から雇い入れて、そうした方々に翻訳者として経産省とベンダーの橋渡しをして、少ない人数でも多くのプロジェクトを回せる体制にしています。
――最近では、どのようなプロジェクトに取組まれているのでしょうか。
吉田:最近だと『Gbiz ID』という事業者が行政手続きをする際の認証システムをひとつにまとめました。いままでのように一つずつの手続きでIDを発行されると管理が複雑になりますし、こちらも開発も運用も大変です。
なので、共通のシステムとしてAPIで接続することで”One ID,One Password”で完結するようになりました。昨年末から運用開始し、10万事業者以上が既に登録をしていて、補助金や社会保険の手続きで利用出来ます。コロナ禍でも社会保険の手続きなどがGbiz IDによってオンライン化され、重宝されています。
一條:経産省内でサイロ化されていたものが、横ぐしに繋がることになりますね。
吉田:実は経産省以外の省庁でも使うことができるようになっているので、これを広げていく取組もいま推進しています。他にもGbiz ID上で活用できる補助金申請サービスとして『J Grants』というものもリリースしていて、経産省以外の省庁を巻き込んで78件くらいが補助金の対応をしています。今後、都道府県や政令都市を中心に28自治体が参加してくれる予定で、こちらもドンドン広げていきたいですね。
一條:もっともっとこういう取組みは世間に伝えた方がいいですよ(笑)
それにしても着実に進んでいますね。これ、時間軸で言えば2年間程度ですよね。トップからの理解を得られたのがやはり大きいですか。
吉田:そうですね。経産省の官房長を最初に説得に行きましたから。そうした中で共感してくれた周囲の先輩も非常に助けてくれました。
一條:そこは凄く重要ですね。それと、グランドデザイン、『あるべき姿』のプランニングに1年近く掛けられていますが、これもとても大事だと思います。
吉田:全体像が描けていない中で取組を開始しても、部分最適にしかならないんですよね。
一條:まさに『あるべき姿』をしっかりプランニングして「〇〇を実現したいから、DXをするんだ」というのは必須です。よく見かけるのは社長が「時代はデジタルだ、DXやれ!!」と号令を掛けても、現場は「何のためにやるんですか?」となってるパターン。
何のためにやるかもはっきりしないままでは「実証(PoC)だけしました」みたいな空回りが増えてしまい、現場が混乱するだけです。
吉田:それと経産省が良かったのはレガシーが無かったところですね。紙しかなかったので、レガシーシステムへ手に入れることなく、後はデジタルにするだけだったのは楽でした。
一條:それは面白い。意外にも「下手にデジタル化されていない方が、DXには適している」ということですね。
吉田:Leapfrog現象のようなものかもしれません。途上国って、何もないから先端技術を入れやすいじゃないですか。
一條:アフリカでモバイルやキャッシュレスの普及が進むとかね。
吉田:デジタル化にとって「すでに何か資産がある」ことは障害になることもあるので、自分の持ち物を省みる必要はありますね。
――「既存システムがないことが成功要因になる」というのは面白い考察ですね。
一條:いまデジタル化をしていない企業ほどチャンスですね(笑)
吉田:いままで私たちは顧客視点、国民視点が全くなかったんですよね。「政策、制度をつくることが仕事」と考えていて、それがどうデリバリーされるかの視点が欠如していました。だから、紙と郵送の仕組みばかりになっています。
でも、デジタル化が進むとそうはいかない。民間サービスで、UI/UXが競争領域になっているように、使いやすくなっていないと誰にも使われない・使えない行政サービスが出来てしまう。それを変えるには行政官のマインドセット、働き方を変えることが必要だと思っています。
一條:私は最近「DX for CX(Customer Experience)by CX(Corporate Transformation)」と言っています。顧客のために、国民のために自分たちが変わるかということが非常に大事なんです。
目指すのは「見えない行政」
吉田:本当は行政機関に入る人の多くは、「国民のために」というマインドを持っているはずなんです。それは徐々に変わってしまう。いま、DXを通してそれを見直す機会が訪れたのだと思います。
一條:Amazonのジェフ・ベゾスの言葉で「It remains Day 1(今日は未だ創業初日だ)」というのがあります。Amazonはいつまでもスタートアップで、実験を繰り返し、全員が顧客のことを考えなくてはいけない。だから、こうしたマインドセットを持っているんです。それを象徴するように彼のビルには「Day One」という名前になっています。
原点回帰という吉田さんのお考えはとても素敵だと思います。
吉田:そうしたマインドセットを基に「使われるデジタルサービス」を具現化し、追求することがフェーズ1ですね。そしてユーザーの手続きをしたデータがきちんと貯まり、分析し、インサイトを基によりいいサービスや新しい政策に活かせるようになるのがフェーズ2ですね。
最初に取組を始めた中小企業庁と産業保安グループではフェーズ2に移行していっています。コンテンツベースマッチングで、中小企業に活用できるサービスをレコメンドするサービスをリリースしたりしています。
その先にAIなどで完全にオートメーション化するフェーズ3があると思っています。例えば、エストニアのように子どもの年齢に応じて、国民側が何もしなくても、予防接種や必要な制度が届く仕組みが挙げられます。エストニアは、それを「見えない行政」と呼んでいますが、そうした世界を目指しています。
――ここまで行政DXの好事例を教えていただきましたが、逆に「これが大変」みたいな話はありますか。
吉田:手続き件数が少ない制度をどうデジタル化するかは目下考え中ですね。全部を個別対応するとコストが掛かりすぎる。なので、いまノーコードツールの活用も検討しています。そうすることでエンジニアを抱えずに内製化も進めていくことも出来ることを想定しています。
あとは、ライセンス問題。各部局がそれぞれクラウドリソースなどをバラバラに持っているので、本来ボリュームディスカウント出来るものもありますし、管理コストも減らせるはずです。「CCoE(Cloud Center of Excellence)」の取組も進めなければと思っています。
一條:非常勤のプロフェッショナル人材は契約が一年単位になるんですか。
吉田:そうです。労働法の兼ね合いもあり、ベース3年~最大5年でやっています。それには経産省にも、プロフェッショナル人材にもメリットがあると思っています。経産省にとっては新陳代謝が活発になりますし、プロフェッショナル人材も経産省で出した成果が次のキャリアに寄与する好循環になると考えています。「このポジションにつくとキャリアアップに繋がる」というブランドになっていけばいいな、と。
デジタルが行政の在り方も変えていく未来へ
――これから行政DXはどのように進んでいくとお二人は考えていますか。
一條:やはり、国民目線に行政サービスが変わっていくことに期待したいです。政府が変わり、民間企業のロールモデルとして、リーダーシップを取って牽引をして行ってほしい。日本はIT後進国のイメージですが、それを打破して、国民に最適な行政サービスが出来ていくなんてこんないいことはありません。
そして、経産省のスピード感や世界のデジタル化の動きを実地に体感してきた吉田さんの考えや動き方。本日はとても今後に期待できるお話を聞けて良かったです。
吉田:経産省で私たちがやってきたモデルを他の行政機関に展開していきたい。私たちも苦労しましたが、プロフェッショナル人材と行政官がコラボれーティブに働きやすいカルチャーづくりも非常に重要です。これはいま話題になっているデジタル庁でも同じことが言えるのではないでしょうか。
もうひとつは、サイロ化された行政システムを効率的なアーキテクチャに組みなおし、国のデジタルインフラをきちんと整備していきたいです。その上に色々なシステムがつくられることを考えれば、それを綺麗に思想を持ってつくっていく必要があります。
それとデジタル化を通して、行政官自体が「何のために働くか」といったマインドや働き方を見直していきたいですね。